navi

特別展顔真卿 王羲之を超えた名筆

千年の時を超え劇場の書日本初公開

中国の歴史上、東晋時代(317-420)と唐時代(618-907)は書法が最高潮に到達しました。
書聖・王羲之(303-361)が活躍した東晋時代に続いて、唐時代には虞世南、欧陽詢、
褚遂良ら初唐の三大家が楷書の典型を完成させました。
そして顔真卿(709-785)は三大家の伝統を継承しながら、
顔法と称される特異な筆法を創出します。
王羲之や初唐の三大家とは異なる美意識のもとにつちかわれた顔真卿の書は、
後世にきわめて大きな影響を与えました。
本展は、書の普遍的な美しさを法則化した唐時代に焦点をあて、
顔真卿の人物や書の本質に迫ります。
また、後世や日本に与えた影響にも目を向け、唐時代の書の果たした役割を検証します。

眺めているだけで、
こころが洗われる。
人間が潔く生きるとは、
このようなかたちかと
顔真卿は書で教えてくれる。
作家 伊集院静

お知らせ

  • 公式サイトをリニューアル、祭姪文稿の現代語訳を公開しました。
    2018.10.22
顔真卿先生
Twitter
公式ツイッター
祭姪文稿 現代語訳

祭姪文稿 現代語訳

けんげん元年(七五八)、戊戌の歳、九月庚午の一日より数えて三日壬申の日、汝の第十三番目の叔父である銀青光禄大夫・使持節蒲州諸軍事・蒲州刺史・上軽車都尉・丹陽県開国侯の真卿は、礼酒や諸種の供物をそなえ、ここに亡き姪にして賛善大夫を贈られたがんめいの霊を祭る。

汝は人に抜きんでた才能をもち、幼い時から立派な人徳をあらわし、宗廟のれんのような重臣、宮庭のらんぎょくじゅのような人物となり、つねに人の心をなぐさめ、やがては福禄をけるであろうと期待されていた。

しかし、逆臣のあんろくざんが朝廷の隙をうかがい、反旗を翻し挙兵しようとはいったい誰が予期しただろうか。
このとき汝の父のがんこうけいは忠誠をつくして、常山郡の太守をつとめ、私もまた朝命を受けて、平原郡の太守であった。仁兄顔杲卿は私をいつくしみ、汝を使者として双方の連絡をとったのである。

汝が私のもとから帰り、要衝の土門を敵から奪回して開通し、土門が開通したことで、凶賊の勢いは大いに弱まった。

しかしながら、賊臣のおうしょうぎょうは救援を送らなかったため、常山城は周囲を凶賊に取り囲まれて孤立し、父は賊の手に捕らえられ、子は殺され、まさに鳥の巣が傾いて、中の卵が転げ落ち壊れてしまったのである。

天がわが一族に禍を下したことを悔いはしないが、何故このような苦毒を受けなければならないのか。汝が残虐な死に遭ったことを思うと、私の身体を百回身代わりにしても、どうしてつぐなうことができるだろうか。

ああ、哀しみの極みである。

私は天子の恩恵を蒙り、しゅうの長官として民を治めることになった。
汝の兄のがんせんめいが最近ふたたび常山に行き、汝の首を納めた棺を携え、ようやくここ蒲州に帰還した。

汝を思うと哀れみの思いで胸が張り裂け、腸が断ち切れ、その死をいたんで心身を震わせる悲憤にかられる。
いつの日か、汝が安らかに眠る墓を作って安住できるようにしてやりたい。

汝の魂が私のこの思いを分かってくれるなら、異郷に長くさまようことを嘆かないでもらいたい。

ああ、哀しみの極みである。

どうかこの祭りをうけておくれ。