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毎日新聞で掲載した関連記事を紹介します

女優・吉岡里帆さん

字と向き合い将来選択

小学校2年生のときに書道と出合いました。友だちに誘われて週に1度、書道教室に通い始めました。先生、友だちとの時間はあっという間に過ぎました。墨の匂いが安心感を与えてくれたことも覚えています。それ以来、学生時代は書道に打ち込みました。

書道は人の思いも届けるものだと思います。書道教室で字と深く向き合うことを教わり、また、中国や日本の古典に触れ、字の意味を学びました。私は特に顔真卿(がんしんけい)(唐の書家)の作品や筆致が針のようにとがって鋭い針切(はりぎれ)という仮名文字が好きです。

進学先も書道の実技試験のある地元の大学を選びました。あのころは将来について漠然と、書道を学び、地元で書道教室を開けたらいいな……と考えていましたが、18歳のとき、アルバイト先で誘われてエキストラで映画に出演し、人生が変わりました。

書道か女優かを選択する際、書道教室の恩師が「書道はいくつになってもできる。また教えるから今しかできないことをしなさい」と背中を押してくれました。生半可な気持ちで上京したくなくて書道の道具は置いていきました。けれど、和紙を買う癖は抜けません。

この前も越前和紙を、つい大量に買ってしまいました。書道の友だちは「ほーちゃん、時間があったら、どうぞ」と(書の部門がある)日展のチケットを送ってくれます。

書道から一旦離れていますが、ふとした瞬間に書道を近くに感じ、何だかワクワクします。学生時代に打ち込んだことがあってよかったなと思います。

2018年7月2日 毎日新聞朝刊より抜粋
祭姪文稿 現代語訳

祭姪文稿 現代語訳

けんげん元年(七五八)、戊戌の歳、九月庚午の一日より数えて三日壬申の日、汝の第十三番目の叔父である銀青光禄大夫・使持節蒲州諸軍事・蒲州刺史・上軽車都尉・丹陽県開国侯の真卿は、礼酒や諸種の供物をそなえ、ここに亡き姪にして賛善大夫を贈られたがんめいの霊を祭る。

汝は人に抜きんでた才能をもち、幼い時から立派な人徳をあらわし、宗廟のれんのような重臣、宮庭のらんぎょくじゅのような人物となり、つねに人の心をなぐさめ、やがては福禄をけるであろうと期待されていた。

しかし、逆臣のあんろくざんが朝廷の隙をうかがい、反旗を翻し挙兵しようとはいったい誰が予期しただろうか。
このとき汝の父のがんこうけいは忠誠をつくして、常山郡の太守をつとめ、私もまた朝命を受けて、平原郡の太守であった。仁兄顔杲卿は私をいつくしみ、汝を使者として双方の連絡をとったのである。

汝が私のもとから帰り、要衝の土門を敵から奪回して開通し、土門が開通したことで、凶賊の勢いは大いに弱まった。

しかしながら、賊臣のおうしょうぎょうは救援を送らなかったため、常山城は周囲を凶賊に取り囲まれて孤立し、父は賊の手に捕らえられ、子は殺され、まさに鳥の巣が傾いて、中の卵が転げ落ち壊れてしまったのである。

天がわが一族に禍を下したことを悔いはしないが、何故このような苦毒を受けなければならないのか。汝が残虐な死に遭ったことを思うと、私の身体を百回身代わりにしても、どうしてつぐなうことができるだろうか。

ああ、哀しみの極みである。

私は天子の恩恵を蒙り、しゅうの長官として民を治めることになった。
汝の兄のがんせんめいが最近ふたたび常山に行き、汝の首を納めた棺を携え、ようやくここ蒲州に帰還した。

汝を思うと哀れみの思いで胸が張り裂け、腸が断ち切れ、その死をいたんで心身を震わせる悲憤にかられる。
いつの日か、汝が安らかに眠る墓を作って安住できるようにしてやりたい。

汝の魂が私のこの思いを分かってくれるなら、異郷に長くさまようことを嘆かないでもらいたい。

ああ、哀しみの極みである。

どうかこの祭りをうけておくれ。