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スペシャル

毎日新聞で掲載した関連記事を紹介します。

毎日新聞連載「顔真卿を語る」

各界著名人の方々に、
顔真卿展の楽しみ方を
語っていただきました。(全6回)

美容家・IKKOさん

人生を表すもの

書って不思議。アートの天才、極めた人は酔っ払って文字が踊るようになっても、何を思いながら書いたのかなと考えてしまう。ただ、懐素の「自叙帖(じじょじょう)」からは悲しみが感じられなかった。経歴について記していると聞いて、なるほどと思いました。

唐の四大家の字を比べた映像に誘われ拓本を見比べてみましたが、褚遂良(ちょすいりょう)の「風」が好き。「虫」の部分が女神のように見えた。心がきれいな人だったのだと感じました。顔真卿のように苦労を重ねた人には細い線は必要なかったのかもしれません。書く人の環境に応じて体から発するもの、それが書です。私も50歳を過ぎて、自分の人生に責任を持ちたいと、手習いを始めたのです。

2019年2月1日 毎日新聞東京夕刊より
写真:雁塔聖教序(部分) 褚遂良筆
唐時代・永徽4(653)年 東京国立博物館蔵
青栁貴史
製硯師・青栁貴史さん

墨する姿想像して

アジア圏内でもっとも古い文房具の一つがすずりです。現代の通信手段であるスマートフォンは2年ほどで買い替えなければいけませんが、書状という最古の通信のための道具であったすずりは、1200年前のものでもまだ使われています。そんな長いすずりの文化史の中でも重要な時期に生きたのが顔真卿です。

端渓(たんけい)と歙州(きゅうじゅう)という二つの有名なすずりがそのころ誕生しました。僕にとって、好奇心と研究心をかきたてられる時代です。肉筆の強い線だけでなく、その中に埋没しているすすの粒子感、にかわの放出量などを見ていただきたい。

顔真卿がどういう気持ちで墨をすったか想像しながら、ゆったり鑑賞してもらえればうれしいです。

2019年1月31日 毎日新聞東京夕刊より
写真:自書告身帖 顔真卿筆
唐時代・建中元(780)年 台東区立書道博物館蔵
女優・吉岡里帆さん

心が技術上回る

心が技術を上回る瞬間がある。顔真卿の「祭姪文稿(さいてつぶんこう)」は、それを具体的に示しています。書かれた文字の意味をしっかりと理解して見るのは、とても大事なことだと思います。ただ、知らず知らずに眺めただけで、感受性に応じて感じるものが、必ずあります。

奇麗に書くというより、残そう、何かを記録しなければならない、と書いた文字の魅力が詰まっている。確かに美しく整った線質の書にはため息がでます。しかし、心が苦しかったのだろうな、どんなふうに思ったのだろう、という感じを受ける書作品はとても貴重です。私の仕事も自分自身を削りながら演じた時の方が、お客様が何かを受け取ってくださると感じています。

2019年1月30日 毎日新聞東京夕刊より
写真:祭姪文稿 顔真卿筆
唐時代・乾元元(758)年 台北・國立故宮博物院蔵
柔道選手・松本薫さん

書は人を映す鏡

紀泰山銘は、玄宗の皇帝としての迫力をよく表していると思う。滅びた皇帝のイメージしかなかったが、これほど大きな山肌に作るとは、それだけの力があったということだろう。一方で筆跡は丸みがあってかわいらしく、どんな王であっても、同じ人間であることに変わりはないのだと感じた。

まさに書は人を映す鏡だと思う。私自身、最初は角張った文字だったが、出産を経て、自分の母親と似た文字を書くようになった。今は忙しくて筆をとる時間がなかなか取れないが、時には丁寧に書くことも大切だと考えさせられた。堅く考えず、自分なりの解釈で楽しむことができる展覧会だと思う。

2019年1月29日 毎日新聞東京夕刊より
写真:紀泰山銘 唐玄宗筆
唐時代・開元14(726)年 東京国立博物館蔵
作家・伊集院静さん

個性と強さ、発現

遣唐使の時代、彼らが一番欲しがったのが顔真卿の書でした。以来1200年近い間、日本人はその書を手本にしてきました。楷書を例に取ると、最初にその筆法を完成させたのが王羲之(おうぎし)で、顔真卿により個性と強さが出ました。文字に自由さを与えたのです。

個性と強さの源は彼の生き方にあります。小説では「文は人なり」というが、「書は人なり」とはこの人のこと。正義、忠節のために死しても構わずという働きをしたにもかかわらず、「裏切り者」といわれたときの文字は熾烈(しれつ)になるのが面白い。そう考えると、書は字をまねるより生き方をまねた方がより近づくのではないか。展覧会で顔真卿が直面した安史の乱などのことを知ったら、顔真卿の文字は生涯あなたの中から離れないでしょう。

2019年1月28日 毎日新聞東京夕刊より
写真:千福寺多宝塔碑 顔真卿筆
唐時代・天宝11(752)年 東京国立博物館蔵

毎日新聞「学校と私」より

女優・吉岡里帆さん

字と向き合い将来選択

小学校2年生のときに書道と出合いました。友だちに誘われて週に1度、書道教室に通い始めました。先生、友だちとの時間はあっという間に過ぎました。墨の匂いが安心感を与えてくれたことも覚えています。それ以来、学生時代は書道に打ち込みました。

書道は人の思いも届けるものだと思います。書道教室で字と深く向き合うことを教わり、また、中国や日本の古典に触れ、字の意味を学びました。私は特に顔真卿(がんしんけい)(唐の書家)の作品や筆致が針のようにとがって鋭い針切(はりぎれ)という仮名文字が好きです。

進学先も書道の実技試験のある地元の大学を選びました。あのころは将来について漠然と、書道を学び、地元で書道教室を開けたらいいな……と考えていましたが、18歳のとき、アルバイト先で誘われてエキストラで映画に出演し、人生が変わりました。

書道か女優かを選択する際、書道教室の恩師が「書道はいくつになってもできる。また教えるから今しかできないことをしなさい」と背中を押してくれました。生半可な気持ちで上京したくなくて書道の道具は置いていきました。けれど、和紙を買う癖は抜けません。

この前も越前和紙を、つい大量に買ってしまいました。書道の友だちは「ほーちゃん、時間があったら、どうぞ」と(書の部門がある)日展のチケットを送ってくれます。

書道から一旦離れていますが、ふとした瞬間に書道を近くに感じ、何だかワクワクします。学生時代に打ち込んだことがあってよかったなと思います。

2018年7月2日 毎日新聞朝刊より抜粋
祭姪文稿 現代語訳

祭姪文稿 現代語訳

けんげん元年(七五八)、戊戌の歳、九月庚午の一日より数えて三日壬申の日、汝の第十三番目の叔父である銀青光禄大夫・使持節蒲州諸軍事・蒲州刺史・上軽車都尉・丹陽県開国侯の真卿は、礼酒や諸種の供物をそなえ、ここに亡き姪にして賛善大夫を贈られたがんめいの霊を祭る。

汝は人に抜きんでた才能をもち、幼い時から立派な人徳をあらわし、宗廟のれんのような重臣、宮庭のらんぎょくじゅのような人物となり、つねに人の心をなぐさめ、やがては福禄をけるであろうと期待されていた。

しかし、逆臣のあんろくざんが朝廷の隙をうかがい、反旗を翻し挙兵しようとはいったい誰が予期しただろうか。
このとき汝の父のがんこうけいは忠誠をつくして、常山郡の太守をつとめ、私もまた朝命を受けて、平原郡の太守であった。仁兄顔杲卿は私をいつくしみ、汝を使者として双方の連絡をとったのである。

汝が私のもとから帰り、要衝の土門を敵から奪回して開通し、土門が開通したことで、凶賊の勢いは大いに弱まった。

しかしながら、賊臣のおうしょうぎょうは救援を送らなかったため、常山城は周囲を凶賊に取り囲まれて孤立し、父は賊の手に捕らえられ、子は殺され、まさに鳥の巣が傾いて、中の卵が転げ落ち壊れてしまったのである。

天がわが一族に禍を下したことを悔いはしないが、何故このような苦毒を受けなければならないのか。汝が残虐な死に遭ったことを思うと、私の身体を百回身代わりにしても、どうしてつぐなうことができるだろうか。

ああ、哀しみの極みである。

私は天子の恩恵を蒙り、しゅうの長官として民を治めることになった。
汝の兄のがんせんめいが最近ふたたび常山に行き、汝の首を納めた棺を携え、ようやくここ蒲州に帰還した。

汝を思うと哀れみの思いで胸が張り裂け、腸が断ち切れ、その死をいたんで心身を震わせる悲憤にかられる。
いつの日か、汝が安らかに眠る墓を作って安住できるようにしてやりたい。

汝の魂が私のこの思いを分かってくれるなら、異郷に長くさまようことを嘆かないでもらいたい。

ああ、哀しみの極みである。

どうかこの祭りをうけておくれ。